長野県南佐久郡生まれ。東京デザインカレッジに入学するが、廃校となり、以後、独学で絵画を学ぶ。1980年代前半に埼玉県比企郡小川町に移住。それ以来、約40年間に渡り、小川町で絵本作家として活動し続けている。代表作品は「のらっこシリーズ(福音館)」など。人と自然が共存する牧歌的な日本の風景を描く。
生い立ち、小川町とのご縁、作品へのこだわりなどについてお聞きしました。
あそびなかまのこどもたちのやり取りから
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
菊池さんの生い立ちから教えてください
もう70年以上前に長野県南佐久郡の小さな町に生まれました。小学校のあそびなかまのこどもたちのやり取りが作品のテーマになっています(最初の作品『やまばと』のこと)。
18で東京に行きデザイン学校に入りましたが、そこは半年でつぶれてしまった。そのころ1970年前後でベトナム戦争があり「ベトナムの子どもを支援する会」という活動があった。月1ペースで数寄屋橋で野外展があり知り合いが作品を出していた。自分もそこで作品を発表するようになりました。
また当時は石油コンビナートの開発に反対する人たちの運動もあり、牧場主の方に取材してお話を訊くなどしました。そのことを小冊子にしたら、出版社の方が、その絵を描くテクニック(技法)を使って本を出してみませんかということになった。それを使って書いたのが初めての作品の『やまばと』という絵本です。子どものころ鳩を飼っていた思い出がもとになっています。
そのテクニックは、墨をうんと細い筆で入れていくというもので、こういう描き方をする人はぼく以外いないでしょう。ものすごく時間がかかって大変でした。それ以降同じテクニックでは絵本を描いていません。モノクロームの世界をやり切ったという感じでした。1枚描いてはまた次のページを考えるというやり方でしたが、それしかできなかった。色が欲しくて次を考えていました。
宝石のような野良を描いた『さんねんごい』
『やまばと』を見た福音館から電話がかかってきて次の作品をつくることになった。
どんどん世の中が荒れ果てていくことに対して、人間と自然が一体となってうまく生態系がまわっていく野良(のら)を表したい。ランドセルを置いて駆けてってあそぶ野良での子どもの生活を、田んぼ/小川/畑とひろがる宝石のような野良を、作品として残したいという強い思いで『さんねんごい』を描いた。佐久ですから鯉なんか飼っていたりするわけです。この本は計画的に描きました。
自然から離れて人は生きていけない。食べ物がないと生きていけない、自然や農は替えがたいものです。その思いを強く持っています。
この二つの作品はおいくつのときに描かれたんですか?
『やまばと』は20代、『さんねんごい』は30代ですね。
小川町に引っ越してきたのは?
すべて小川町で描いたんですね。前は川越に住んでいました。東上線の終点で笠山が近くに見える。全然町のことを知らずに来てるんだけど
景色が幻想的というか豊かです。自然に手がついていない。『さんねんごい』の野良に通じるものがある。
小川町の皆さんと知り合いになってなじんで暮らしてきました。
小川町にも50年?
40年くらいだね。あっという間だった。
野良を描くじたいが現代に対するメッセージ
作品へのこだわりを聞かせてください
のらっこの絵本は、子どもの頃の思い出、その世界を作品にしている。身体がしっかりしてないと作品が描けない。身体の健康が作品を生み、作品を描くことが精神状態をつくってくれる。
自然と人が一体となっている野良を描いていることじたいが現代に対するメッセージになっていると思います。
小川町の散歩絵地図はどんな経緯でできたんですか?
20年くらい前だね。町長選挙のときにますださんという革新系の候補がいて絵地図をつくろうということになった。その前に役場から頼まれて絵地図を描いていた。それをリニューアルして半年くらいで描いたものです。
役場の人が一緒にまちをまわってくれて、出ているところはみんな見て、庭を調べたり雲を描いたり入道雲を入れたりした。
比企出しのロゴにも入道雲がありますね。
この入道雲は人気あるね。ありがたいことです。
最後に比企出しへのメッセージをお願いします。
ちゃんと維持して発展していけるようにお祈りします。
ありがとうございます。